imagesROC8OZLY柔道〜体力的についていけないと嘆いている人を助けること

柔道の稽古中、誰しも体力的に辛いと思うことがあるでしょう。上級者はそれでも問題なく乗り越えますが、まだ色帯の人、初心者は大変です。

疲れてもう稽古に集中できないとき、まるで白い服を着て浮遊している幽霊のような、抜け殻が稽古をしているように見えます。そう感じる時は、もしかしたら本当にあなたの”霊”はもう家に帰ってしまったのかもしれません。私の師匠はよくこういう場面で”霊”の存在を確信していました。彼らの空っぽの体を見てはこの辺を漂っている”霊”がいると思っていたようです。

すべての上級者はこの状況を認識し、弱っている人、疲れてしまっている人が”霊”を家へ帰らせてしまわないように、稽古中の集中力を維持できるように助けるべきでしょう。もしこのような状況に気付かないなら、それは柔道とは言えません。「自分と他者が調和の中で共に成長する」という”自他共栄”の精神が足りないからです。

弱者との関係は柔道、ひいては日常生活の中でも非常に重要です。柔道の練習中、準備体操、打ち込み、形、乱取りの間、上級者は注意深く目を配り、仲間またはチーム全体を盛り上げていかなければなりません。

これらの状況は稽古中常に起こることですが、あなたが精神的エネルギーを必要とする人にそれを与えることで、あなた自身のエネルギーをも高めることができるのです。

この”必要とする人を助けてエネルギーの交換をする”という考え方は柔道独特の教えであり、伝統的な理解の元にいえば、仲間やチーム全体でエネルギーの磁場を作るということです。これは、誰もが疲労に立ち向かうのに役立ち、またより簡単に練習できる、ポジティブなエネルギーの塊を作ることになります。

多くの他の分野で、例えばチームスピリット、チームワーク、更衣室仲間など、似たような力を見つけることができるでしょう。しかしこれらはすべて、試合などで良い結果を得ることを目的としており、あなたの後に続く人、ひいては社会を助けるために具体的な指導をしていくということではありません。

稽古中にこれらのことに注意を払うことができるなら、あなた方がしているのはまさに柔道です。経験を積むにつれて自然に疲労の限界に来ている人を察知し、自他共栄の精神でその人にあなたのエネルギーを与え、助けることができるようになるでしょう。

疲れきった人を地面に叩きつけるのは柔道ではありません。疲れた仲間を助けようとしないでする打ち込みは柔道ではありません。どちらにとっても、その練習は意味をなさないのです。なぜなら、嘉納治五郎先生が精神的啓発の目的でおっしゃったように、稽古中、エネルギーが相互作用しなければ上達はなく、その場合、柔道が上達の強力な助けにもなれないからです。

一人で稽古することはできません。柔道は身体的にも道徳的にも精神的にも、個人と社会が共に成長するように作られたからです。もし自分自身と自分の技術ばかりを考えているなら、何か別の名前を考える必要があります。なぜなら嘉納治五郎先生が考えた”柔道”はそういうものではないからです。
次回は「柔道〜謙虚に自分の限界と弱点を知ること」でお会いしましょう。
大日本武徳会範士 アルフレード・ヴィズマーラ